むつおちゃんブログ

バーグハンバーグバーグで働く山口むつおのブログです。

32歳になって、人生で初めて納豆を食べた

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美味すぎる。こんなものが世の中にあったのか。信じられない。
納豆…ああ、納豆…。もう納豆の事ばかり考えている。

 

 

事の経緯

もともとネバネバした食べ物が嫌いで、まったく食べることができなかった。山芋もそう、オクラもそう。生だと卵の白身もダメだ。里芋もちょっと怪しい。そんな状態なので、ネバネバの代名詞である「納豆」なんて食えるはずがなかった。

きっかけは妻とフラリと入った渋谷の居酒屋だった。晩飯がてらちょっと飲んで帰ろう、という事になり、とある人気店を訪れたのだけど残念ながら満員だったため、向かいにあったほとんど人が入っていない店に入った。

日本酒が飲みたかった。となるとアテは生魚がいい。見てみるとメニューに「ばくだん」というものがあった。これは何だと妻に聞いてみると「刺し身とか卵とか納豆をぐちゃぐちゃに混ぜたもの」だと言う。

 

食えるはずがない。

 

普段の僕ならそう思うのだが、その日は疲れてあまり頭も回っていなかったのかもしれない。刺し身なら日本酒にも合うし、じゃあ食べてみるという事になり、注文した。

 

そして運ばれてきたばくだん。思っていたよりぐちゃぐちゃはしておらず、魚の身や納豆の豆粒などもしっかりと形を残していた。

口に運んだ。あれ、思ったほどネバネバしていない。生魚のぬるっとした感じと一緒くたになって脳が勘違いしたのかもしれない。そしてソイツはやってきた。納豆の味だ。

 

なんだこれは!!!!!!!!!!!!!!

 

人生で出会った事のない味。甘みとも、旨味ともいえない感覚。独特の香り。これが関西人が苦手だという発酵食品の香り?なんとも食欲をそそる香りじゃないか。舌先でつぶれる、豆の食感。口の中で妙な薄皮が残るような感覚もない。「おれは今、この豆を潰した!食ったんだ!」という支配感に襲われる。

さらに不可解なのは、なぜ生魚と調和しているのかという点だ。その昔、美味しんぼで海原雄山が「どんな高級食材を揃えるよりも、同じ土地で採れたもの同士のほうが調和する」みたいな事を言っていた。いやいやいや!納豆…もとい大豆は山だろう。そして魚は海だ。生育環境が違いすぎやしないか?ワサビと刺し身が合うのもおかしな話だなと思っていたが、納豆と刺し身やそんな次元じゃない。調和しすぎている。おかしい。何かがおかしいぞ。これはこの世のエラーなんじゃないのか。神がこの世というものをプログラミングした時に、デバッグしきれなかったバグなんじゃないか。大丈夫?納豆と刺し身の間に吸い込まれたりしない?そして次元の狭間に放り出されて、永遠に2進数の海をさまよい続けるハメになったりしない?それくらいおかしいよ、この調和は!!!

正直、僕のつとめている会社はWEB業界ではかなり有名だ。それゆえ、色々な人と出会う機会も多く、美味しいお店を紹介してもらえる機会も多い。1年以上予約で埋まっているような焼き肉屋さんでお肉を食べた事もある。美味かった…本当に美味かった。人生で食べてきた中で、間違いなく1位…肉の到達点だった。この世にこれ以上の美味しいものが存在するのか?そんな気がした。

 

でもあった。納豆だったのだ。

 

 

まったくの新しい経験が、人間の脳をスパークさせる

これは納豆のほうが最高級の焼き肉より優れていると言いたいわけではない。

僕にとっての最高級の焼き肉と、納豆の違いについて考えてみてもらいたい。それは何か?焼き肉はランクを問わなければ今まで何度も食べた事があった。つまり最高級の焼き肉との出会いは、肉カテゴリで1番に出会ったという事だ。

一方、納豆のほうはどうだろう。わかってもらえると思うけど、あれは他にカテゴライズできる味ではない。納豆は納豆というカテゴリじゃないと表現できない味だ。僕にとっては納豆を食べたという事は、僕の味覚の中に「納豆」という新たなカテゴリが新設されたという事だったのだ。

そもそも納豆は国民食と言って過言ではないほど一般的な食べ物になっている。和食の朝食のイメージに必ず登場するほどだ。つまり、それほど日本人の舌に相性が良く、愛されているということを意味する。そんなガッチガチの日本人好みの食べ物の味を、32歳の日本人が初体験したのだ。それはもう、とんでもない衝撃だ。

その衝撃たるや、まるでヘレン・ケラーが初めてWaterを知った時のように…生まれつき盲目だった人が初めて景色を見た時のように…初キスがベロチューだった時のように…。

初キスがいきなりベロチューだぞ?!そりゃ頭の中がスパークするわ!!!!!

 

 

終わりに…そして納豆の終わりに

いったい何が言いたいのかよくわからなくなってしまったけど、僕が言いたいのは「初体験に勝る衝撃はナシ」という事だ。まったく新しい体験というものは、既知のものの最高点の経験であっても、それをゆうゆうと超えてしまう。

しかし悲しい事かな、そんな新鮮な体験もすぐに色褪せる。僕はそれから何回か納豆を食べたが、もうあれほどの感動を味わう事ができなくなってしまった。感動yと経験回数xの相関関係は、まさしくy=a/xの反比例のグラフのようだ。

 

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※藁に入ってるのも食べてみたが、もう普通だった

僕はその事が悲しい。あのものすごいインパクトを与えた納豆はもう食べられないのだ。

 

納豆…ああ、納豆…。もう納豆の事ばかり考えている。